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海外ビジネス コラム

生活・文化 2012年08月06日

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インドネシア進出後のポイント、現地従業員の特性は? 筆者が肌で感じたインドネシア人

小野 耕司(インドネシアビジネスサポート)

 

このコラムは3ヵ月間にわたり毎週一回、合計12回の連載でお送りします。

5回目のテーマは、『インドネシアの社員達』です。

初めてインドネシアに赴任してから32年になります。
そして、日本に帰って来てから17年になります。
最近は当時のインドネシア社員の訃報をメールで知らされることが多くなりました。
筆者よりも年上の社員ばかりではなく、10歳も若かった社員の訃報を知らされて、思わず涙することもあります。
ほとんどの死因が心臓発作と糖尿病で、やはり日本と較べて平均寿命が短いことを実感させられます。

もちろん訃報だけでなく、予想に反して(?)頑張っている元部下達の消息を聞くこともあり、ほのぼのとした気分になることもあります。
今回は、筆者の人生観に良くも悪くも彩りを添えてくれた、何人かのインドネシア人社員の思い出を語りたいと思います。
話の中から、インドネシア人社員のいくつかの特徴を感じて頂ければ幸いです。

総務部長のY氏は年齢から見ても筆者の兄貴みたいな人でした。
当時は数少ない中間層として、所得も決して少なくないはずであったが、下手に安定した所得があるものだから、一族郎党から経済的に当てにされ、自分自身の家計のために使えるお金はいくらもないと、いつも愚痴を言っていたものでした。
これは、いわゆるインドネシアに古くからある助け合いの文化、ゴトンロヨン(相互扶助)と言われるもので、イスラムの喜捨の教えも加わり、与えるのは富める者の義務であり、そして与えられるのは貧しい者の権利であると教えられました。
職場では日本人とインドネシア人の中間的な立場で意見することが多く、聞き分けの無いインドネシア人を叱る傍ら、筆者もインドネシア人に対する理解が足りないとして、良く叱られたものでした。
しかし、駐在も10年が過ぎた頃に、筆者のことをインドネシア人の真の仲間だと言ってくれた時の嬉しさは、今でも鮮明に覚えています。
その彼も既にアッラーの下に逝ってしまいました。

生産課長のS氏は筆者と同年代で、筆者の赴任当初は色々と反発を受けたものでした。
同年代と言っても、彼から見たらインドネシアのことを何も知らない若造くらいにしか見えなかったのでしょう。
その後、彼が現場のインドネシア人社員を取りまとめることに力量を発揮して来た頃に、女性問題を起こしてしまい解雇すべきかどうか大いに悩んだのですが、良く話し合った結果、本人の反省の言葉を信じて留任となりました。
それからも、本人にとっては辛い時代もあったようですが、現在は定年を延長して、前記のY氏の後任として、数千人規模になった主力工場の総務部長を担当しています。
地方の工業高校を出て、現場の作業者から叩き上げた総務部長は、元々どや顔の強面であることもあり、さぞや迫力あるだろうと想像し、次回のインドネシア訪問の際に再会することを楽しみにしています。

別の生産課長D氏は、若い頃はインドネシアでは御法度の共産主義に少し染まっているからと、前任者から特に注意するように言われました。
おかしなもので、そう言われると彼の言動がそのように思えて来るのだから不思議なものです。
しかしそれは前任者の杞憂であることが次第に判って来たこともあり、当時、現地生産を始める商品のキーメンバー候補として、一年間の日本研修に派遣しました。
この一年間の彼の成長には目覚ましいものがありました。
まず、日本語をしっかり習得して帰って来ました。
これにより、技能習得も高い評価を得たことは当然のことでした。
インドネシアに戻って来た後に、肺結核を患い、生命の危機に晒された時期もありましたが、皆で支えることでなんとか乗り切ることが出来ました。
今ではその商品の工場長を務めています。
彼も地方の工業高校を出て、現場から叩き上げた人間です。
この二人を見ると、日本の高度成長時代のことを思い出します。

機械職場の工員であったH氏は、仕事中に悪戯をして、おかしなお面を作って天井から吊り下げていたところを筆者に見つかってしまいました。
まだ若かりし頃の筆者は、思わず彼の頭をポカリとやってしまったから大変です。
大げさに言うと、日本人がインドネシア人に暴行を働いたことになってしまい、怒った従業員達が筆者の身柄を引き渡せと騒ぎ始めたのです。
そのため、筆者はしばらくの間自宅謹慎を命令されたのですが、インドネシア人と日本人幹部達のはからいで、全従業員の前で、悪戯をした社員と相互に謝罪した上で、仲直りをするセレモニーを行い、事なきを得た次第でした。
しかし、怪我の功名か、この後はインドネシア人社員達が以前よりも親しくしてくれたように感じました。
また、悪戯をした社員も、その後は人一倍真面目に働くようになり、幹部社員に登用されたと聞いています。

5年前後で入れ替わる日本人駐在員を横目に、約40年にわたり一つの日系企業に勤務して来た彼らは、何を思って日本人と付き合って来たのか、お互いに還暦を過ぎたあたりに(まだ健在であれば)思い出を語り合えたら楽しいだろうなと考えています。
また、その時の話を皆さんにご紹介出来る機会があれば幸いです。

次回のテーマは、6. 人材教育はWhyが大事、です。ではまた来週お会いしましょう。

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小野 耕司

(インドネシアビジネスサポート)

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