海外進出事例集

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美容業

アジア市場開拓を目指し、上海に美容室を出店した「ダダ」の中国進出事例

株式会社ダダ

大阪、名古屋、福岡など国内4店舗の美容室と8店舗のエクステンション専門店経営するダダの竹村仁志社長は、1994年に初めて自分の店を持ったときからアジア進出を考えていたという。そして2006年、計画通り上海に第1号店を出店。2009年には2号店も出店し、現在は竹村社長も上海に常駐している。近い将来は北京にも出店し、いずれは中国に美容スクールを開設、アジアの美容業界でイニシアチブを握るというのが同社の遠大な計画だ。
※中小企業国際化支援レポートより引用

2016年4月21日

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大阪、名古屋、福岡など国内4店舗の美容室と8店舗のエクステンション専門店経営するダダの竹村仁志社長は、1994年に初めて自分の店を持ったときからアジア進出を考えていたという。そして2006年、計画通り上海に第1号店を出店。2009年には2号店も出店し、現在は竹村社長も上海に常駐している。近い将来は北京にも出店し、いずれは中国に美容スクールを開設、アジアの美容業界でイニシアチブを握るというのが同社の遠大な計画だ。
※中小企業国際化支援レポートより引用

海外進出前にまず“日本代表”に

竹村社長が独立してダダの1号店を大阪に出店したのは1994年、25歳のとき。これは美容業界では異例ともいえる早さだが、以前からアジア進出を考えていた竹村社長にとっては、独立もひとつの通過点に過ぎなかった。20代でアジア進出という“野望”を抱いた理由を竹村社長はこう説明する。

 「美容業界は欧米のまねをしてきたのが実情です。本来、人種が違えば髪質も違います。白人の髪は細く柔らかく色素が少ないですが、黄色人種の黒髪は太く硬いのが一般的です。当然、髪質に合ったヘアスタイルや美容技術があるべきはずなのに、日本もアジアも欧米のスタンダードを無理に当てはめようとしてきました。アジアの美容業界は現在も混沌とした状況で、どこのサロンもイニシアチブを取っていません。それならアジア人に適したヘアスタイル、ヘアファッションを創り出して、自分たちが主導権を取ろうと考えたのです」

 しかし、いきなりアジアに進出しても認められるはずがない。「まず日本代表にならなくては」と考えた竹村社長は、日本の主要都市に次々と出店し、知名度を全国区にまでのし上げた。竹村社長はエクステンションと呼ばれるつけ毛の技法に関する特許を持っており、日本で初めての専門店も展開し、急速に売り上げを拡大していった。そして2006年、念願のアジア進出を果たしたのである。

トップ自らが現地でリサーチ

アジア進出に際し、竹村社長は美容師向けのスクール運営を中心に、世界的に事業を拡大してきた欧米の美容業界大手V社のビジネスモデルを参考にした。アジアでV社のように展開するには、最大のマーケットである中国の人々が集まりやすいところがよい。そこで首都の北京よりも経済が発展し、日本や欧米のファッションが受け入れられている上海が最適地だと考えた。だが、美容室としての知名度がない段階でスクールを開いても成功する可能性は低い。そこでまずは上海に美容室を展開しようと、2005年から現地のリサーチを始めた。

 「僕自身が2カ月に1回程度のペースで上海に行き、エクステンションの仕入れ先に勤める友人にリサーチ場所などのアドバイスをしてもらいました。うちの店がオープンしたら、まずお客になってくれるのは現地在住の日本人ですから、上海にいる日本人女性がどういう生活をし、どれくらいお金を使っているかなどを中心に調べました。もちろん中国人の若い女性が好きなファッションや読んでいる日本の雑誌などについても直接、現地の人に話を聞いたりしましたね」

 この頃、中国では靖国問題を引き金にした反日デモがよく行われていた。しかし、一般の上海の人々はそれほど強い反日感情を持っていないことがリサーチでわかった。また、日本の女性誌やファッション誌がよく読まれ、日本人のファッションを真似している人が非常に多いことなども改めて確認できた。

有名店が進出できない理由

「原宿や表参道などに店を構えている有名美容室は、少なくともあと5年間は中国に店を出せないでしょう。その間にうちが中国を押さえてしまおうと思いました」

 上海にはこの頃、すでに日本の美容室がいくつか進出していたが、有名店はほとんど出ておらず、ダダのライバルになるところはないと竹村社長は考えた。

 有名店が中国に進出できない理由のひとつが、料金である。ダダは全国どの店も統一料金で、カットは4500円。これは原宿や表参道の有名店に比べるとかなり安い。上海でも日本とほぼ同じ料金の300元に設定している。上海ではこれは相当高い水準だが、ミドルアッパー層以上の女性なら十分払える金額だ。しかし、日本の有名店ではこのような安い料金設定は厳しい。仮に可能だとしても、「中国の人は日中間のあらゆる差に敏感なので、日本の料金より、だいぶ安い設定をすると『質を落としているからだ』と受け取り、かえって中国人は、反発するでしょう」というのが竹村社長の考えだ。

 もうひとつはスタッフの問題である。美容業界では、特にランクの高い美容師になるほど職人的な性格が強くなり、会社への帰属意識も薄く、一匹狼的な考え方になることが多い。給与も個々の実績が反映するため、指名料や歩合給の占める割合が大きい。もし中国への転勤となれば収入ダウンにつながる可能性が高く、しかも東京の激戦区で美容師として活躍しているというプライドにも傷がつく。会社から転勤を命じられても、簡単には従いにくい。それに対してダダは固定給が基本で、国内では東京から地方への転勤もあり、中国に行く場合は住宅の確保を保証し、定期的に日本に帰国できることも確約している。

「だからうちでは、スタッフに中国に行ってくれと言っても、断られることはほとんどありませんね」と、竹村社長は言う。

最初から採算ベースに乗った1号店

リサーチを終えた2006年9月、竹村社長は独資の現地法人を設立。“上海の渋谷”とも称される徐家匯に約220平米、18席の上海のダダ1号店をオープンさせた。メニューは日本のダダとすべて同じにした。椅子や鏡、ドライヤーなどの設備や備品類は現地で調達した。このときのスタッフは10名で、店の責任者には日本のダダで働いていた日本育ちの中国人を登用。あとの9名はいずれも現地採用だが、そのうちの2名は現地の美容室で働いていた日本人だった。接客や技術のトレーニングは現地で約3カ月間実施。この頃竹村社長はまだ現地に常駐していなかった。

 「トレーニングでは『仕事中は座るな』など、サービス業の基本的なところから教えました。何とか形にしましたが、中国では美容師の資格が存在しないこともあり、日本のようにきめ細かい接客はまだ無理でしたね。それでも東京と大阪に店のある美容室ということを強調した広告を出すと、最初から採算ベースに見合う数のお客様が来てくれました。最初は日本人ばかりでしたが、じきに半分くらいが中国人のお客様になりました」

 だが、オープンから2年ほど経って、思わぬ事件が起きた。前述の店の責任者であった中国人が突然店をやめて独立し、さらには会社の金を持ち逃げしてしまったのである。

トップ自らが現地に常駐

これはれっきとした犯罪であり、同社は裁判に訴えた。結果的にお金は全額回収することが出来たが、このやり取りのために竹村社長はしばらく上海に滞在しなければならなくなった。これがひとつの転機となる。

 「最初は裁判が終わるまで、半年くらいの滞在のつもりだったのですが、改めて上海の街を見てみると、比較的裕福な人たちのお金の使い方が、想像以上に派手であることに気がつきました。オープンから2年経った間にずいぶん経済成長して、しかも良いものは積極的に受け入れ、相応の対価を払うことが当たり前だと考えている。これはすごいビジネスチャンスだと直感し、日本の店のエース級のスタッフをひとり連れて、自分も上海に常駐することにしたのです」

 それが2008年4月のことである。竹村社長が常駐してからは、スタッフ教育を徹底して行い、技術も接客も目に見えて向上した。売り上げも短期間でオープン時の2倍近くにまで跳ね上がった。

 これに意を強くした竹村社長はすぐに次の手を打った。2009年11月、上海のトレンドスポット・浦東にある最高層の上海森ビルに2号店をオープンさせたのである。現地のビジネス界でも、ダダの存在が評価され始めたため、テナント料金などの条件は破格の好待遇だったという。

 上海の2号店は広さ200平米でスタッフは12名。そのうち半数は日本人である。竹村社長は家族も上海に呼び寄せ、上海現法である上海美鋪美容美髪の薫事長を務め、1号店、2号店で自らスタイリストとしても腕を振るっている。

「ついこの間も、1号店のスタッフがごっそり辞めてしまいました。中国ではそういうことはよくあります。でも、それは中国人が悪いというのではなく、働き方や文化が違うのだから仕方ない。だから採用するときも多めに採用します。10名採用して残るのはひとりかふたり、そのなかでうちのやり方に価値を見出す中国人もいて、そういうスタッフは長く居つきます。こちらが信頼すれば、応えてくれるのです」

次は北京への出店を計画

今ではオープン当初にあった、仕事中に携帯電話をいじるといった行為も見られなくなった。ルールもきちんと守り、毎日の朝礼には全員が真剣な面持ちで参加している。竹村社長によれば、最近はローカルの美容室も接客がよくなり、いい加減なことをする店は減ってきたという。「うちの真似をしているんですよ」と竹村社長は笑うが、それが本当ならば、“ダダ効果”で上海の美容業界がレベルアップしていることになる。

 今、竹村社長は次の出店プランを練っている。今度は北京だ。1号店のときと同じように1年かけてリサーチし、2011年末か2012年の初めにはオープンさせたい考えだ。もちろんその先にはスクールの開設も見据えており、中国以外の地域への展開もすでに考えている。

 上海の美容界は明らかにレベルを上げてきている。日本の大手や有名美容室が参入してくる可能性もある。いずれにしても今後、競争は激化していくはずだ。ダダはこれからの5年で中国を制することができるのか。竹村社長のアジア戦略はこれからが正念場だ。

竹村仁志社長が語る「海外進出のためのアドバイス」

- 信頼できるコンサタントルを使う
よく中国ビジネスで「だまされた」という人がいるが、中国側との間に入って暗躍する悪質な日本人コンサルタントが実は多い。日中関係なく、信頼できるコンサルタントか弁護士のどちらかが絶対に必要。

- トップが常駐すべき
中国人は上下関係を重視し、社長やオーナーには絶対的な権威を感じる。従ってトップが常駐していないと足元を見られる。トップの常駐が難しいなら、トップから全権を任された権限と能力と肩書きのある人を送り込むべき。そうしないと中国人はついてこない。

- 中国の法律を学ぶ
労務関係などはコンサルタントに頼っても構わない。しかし、経営者も中国の労働法のことはきちんと知っておいた方がいい。中国の労働法は複雑だし、頻繁に変更される。そういうことを知っておかないと、問題が起きたときに迅速に対応できない。

企業名株式会社ダダ
業種・業態美容業
進出国
事業内容

美容室経営

法人設立年1994年
海外進出時期2006年
日本法人所在地大阪府大阪市北区天満橋2-2-10-1302
資本金1,000万円
電話番号06-6353-2253
URLhttp://www.dada-salon.com
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