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海外ビジネス コラム

その他 2012年09月11日

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インドネシア進出成功には欠かせない日本人コミュニティ。しかしその数は韓国人の4分の1に……

小野 耕司(インドネシアビジネスサポート)

このコラムは3ヵ月間にわたり毎週一回、合計12回の連載でお送りします。
10回目のテーマは、『日本には無い日本人社会』です。

筆者がインドネシアに駐在していた1980年代から90年代は、在住する日本人の数が約1万人、日系企業は約400社と言われていました。
現在も日本人の数は10,000人強ですが、日系企業は1,200社以上と言われています。

企業数が2倍以上になっているのに、日本人の数があまり変わっていないのは、一社当たりの駐在員数が減っているか、在留届を出していない単身赴任の駐在員が増えている、などの理由が考えられます。
ジャカルタ日本人学校の小中学部の生徒数が、当時の半分の800人前後になっていることを見ると、なるほどと感じてしまいます。

しかし、10,000人のインドネシアでの日本人社会の特徴は、現役の駐在員の方々の話を聞く限りでは、当時と変わらず今でも生きているようです。
インドネシア特有のことだけではなく、海外では共通してあることかもしれませんが、今回は嫌な面は忘れ、ためになると思われることをお話ししたいと思います。

まずはゴルフです。
筆者は帰国前に熱中した練習方法が悪かったのか、手首と腰を痛めてしまい、以降、日本でプレーすることはありません。
日本でも誘いを受けることはあってもほとんどが社内か、関連企業内のコンペでした。
しかし、インドネシアにおいては、本当に色々な業界、色々な会社の人達とゴルフで知り合いました。
特にインドネシアではジャカルタに日系企業が集中しており、日本人同士という連帯感もあって、様々なコンペが乱立していました。
前半9ホールと後半9ホールの間の待ち時間は、一緒のパーティー人達との恰好の情報交換の場となりました。

娯楽を通してだけではなく、純粋に仕事を通して日本では考えられないネットワークを作ることも可能でした。
それは、ライバル企業同士の連携です。
もちろん企業秘密となるような技術などを教え合うなんてことはあり得ませんが、同じ仕事をする上で協力した方が互いのメリットになることが多々ありました。
熟練工の引き抜き防止のための情報交換、関連する規制に対する足並みの揃った対応、政府からの現地化率向上圧力に対処するための現地サプライヤの共有等々、色々とありました。

時には一緒にゴルフに興じたり、カラオケで一緒にお酒を飲んだりすることもありました。
お互いに工場を訪問し、労務問題や環境対策について勉強し合うこともありました。
ただし、このことが本社に誤って伝わり、競合他社に機密情報を漏らしていると誤解され、弁明のために日本へ出張したこともありました。
これ以降『南洋ボケ』の烙印を押されるはめになってしまったのは、少々心外でしたが……。

話は変わりますが、忘れてはいけないこととして、太平洋戦争敗戦の後、インドネシアのオランダからの独立戦争に参加した残留日本兵のことがあります。
記録によると、約3,000人が参加し、戦死者1,000人、独立後帰国1,000人、インドネシア人として帰化が1,000人くらいになるそうです。

帰化された方々の中で、今も健在な方は数えるほどしかいないと聞いていますが、駐在中はその中の何人かの方々に日本人としての薫陶を受けました。
また、大手商社などの顧問として、政府高官との人脈創りなどに貢献している、元気な姿を目にすることもありました。

慶弔行事で従業員の自宅を訪れた時などは、昔お世話になった日本軍の『佐藤中佐』を知らないかと聞かれたこともありました。
また、筆者の故郷は秋田ですが、昔は実家の近くに油田があり、帝国石油という会社があったのですが、その会社にいた親友が石油採掘技師としてボルネオ島に送られて帰って来ないので、消息を調べてもらえないかと、近所に住む父の知り合いから頼まれたこともありました。

インドネシアには300年以上前のオランダ統治の時代から移り住んで来た中国人社会が、特に経済の分野で強固な基盤を築き上げています。
日本人は太平洋戦争とオランダからの独立戦争を通して、そしてそれ以降の直接投資を通して国作りの良き友として接してもらえていたと思います。

しかし、今は韓国人の数は日本人を遥かに凌ぎ、既に40,000人と言われています。
国別の投資金額も今年あたりには韓国に抜かれ、これまで永く維持して来た実質一位の座を譲ることになるかもしれません。
共産中国も工業団地に広大な土地を確保し始めています。
そしてインドネシア政府もこれらの国に秋波を送っています。

インドネシアの日本人社会は益々その活動の分野を広げているように窺えますが、これからもインドネシアにとって存在価値の大きいパートナーでありつづけることを願って止みません。

次回のテーマは、11. インドネシア語習得の秘訣、です。ではまた来週お会いしましょう。

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小野 耕司

(インドネシアビジネスサポート)

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