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シマノ(SHIMANO)の海外進出 | 自転車業界の〝インテル〟! その3つのグローバル戦略を解説!

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シマノ(SHIMANO)の海外進出の歴史や海外事業、海外展開を成功させたグローバル戦略など、シマノの海外進出について分析していきます。

釣り具や自転車部品などの製造を行うアウトドアメーカー「シマノ」は、2021年で創立100周年を迎える老舗企業であり、スポーツ自転車用の部品で世界トップシェアを誇るグローバル企業でもあります。

2021年現在、新型コロナウイルス感染症の影響で自転車レースや釣り大会は相次いで中止・延期となっているものの、三密回避の手立てとして自転車での移動や、釣りを始めとした屋外でできるレジャーに注目が集まり、コロナ禍でも業績は絶好調。2021年の営業利益は過去最高を記録する見込みというのだから驚きです。

本テキストでは、そんなシマノの海外進出について詳しくわかりやすく解説していきます。

▼シマノ(SHIMANO)の海外進出 | 自転車部品業界の〝インテル〟! シマノの海外進出の歴史と3つのグローバル戦略を解説!

▼アナタの海外ビジネスを成功させるために

1. シマノ(SHIMANO)とは?

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創業100年を迎えた自転車部品事業で世界最大シェアを誇るトップメーカー

まずはシマノ(SHIMANO)とはどんな会社なのか? その基本的な概要について解説します。

結論から言えば、シマノは世界有数の自転車部品および釣り具などを製造・販売するグローバル企業です。

シマノは2021年、創業100年を迎えました。主要事業はスポーツ自転車部品や釣具などの開発・製造・販売です。全売上のおよそ9割は海外事業の売上であり、スポーツ自転車部品は世界シェアの85%を占めています。

1921年、島野鐵工所として創業したシマノは、国産フリーホイールの製造で業績を上げ、その後は釣具やゴルフ用品、スノーボード用品など順調に製品の幅を広げていきます。その後、ゴルフとスノーボード事業からは撤退しましたが、1965年にはアメリカ、1972年にはヨーロッパに進出し、自転車部品事業は現在、世界最大シェアを誇るトップメーカーへと成長しています。

ツール・ド・フランスでもおなじみの「自転車業界のインテル」

シマノの部品は世界有数のロードレースである「ツールドフランス」においても、世界の一流選手やチームに愛用されており、シマノのパーツセット「Dura Ace」を使った選手は毎年レースの上位入賞を果たしており、シマノのブランド力の高さは「自転車業界のインテル」と称されるようになりました。

シマノをここまでのグローバル企業に育て上げたのは四代目社長で会長も務めた島野喜三氏だと言われています。同氏は2020年に死去。その翌年、創業100年を目の前にした2021年2月、専務であった島野泰三氏が社長に就任します。デジタル化の遅れといった課題を解決すべく、節目の年にトップ交代で若返りを図りました。シマノの新しい時代を担う六代目社長の手腕に期待が寄せられます。

2. シマノ(SHIMANO)の海外進出の歴史

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シマノの海外進出は1965年のアメリカ進出からスタート

ここからはシマノ(SHIMANO)の海外進出の歴史を見ていきましょう。

シマノが初めて海外に進出したのは1965年、アメリカでした。日本国内では自動車産業が急成長し、路線バスの運行開始など、自転車業界には向かい風が吹く厳しい時代。日本での事業展開に限界を感じたシマノは、海外を目指すことを決めたのです。

アメリカの販売会社でアフターサービスに力を入れた前社長・島野喜三氏

シマノの海外進出の歴史を語る上で欠かせないのが、前述した四代目社長である島野喜三氏です。

喜三氏は1965年にアメリカに設立したシマノの販売会社社長に就任。新卒で日産の販売会社に勤務していた経験を持つ喜三氏は、販売のためにレンタカーや飛行機で全米を駆け巡ったといいます。

当時、日本では軽視されていたアフターサービスやクレーム対応にも力を入れ、顧客ニーズを満たすことを常に優先。その姿勢が、シマノのブランド力へとつながっていきます。

マウンテンバイクとの出会い

そんなシマノのアメリカおよびヨーロッパでの成功の背景にはマウンテンバイクの存在がありました。

サンフランシスコ郊外の山道で、若者たちが舗装されていない道路を駆け下る遊びを始めたのは1970年代のことでした。未舗装の道で酷使される自転車はすぐに部品が壊れてしまい、若者たちは自分で自転車を改良するようになります。

これが現在のマウンテンバイクの原型となりました。

自転車で面白い遊びをしている若者たちがいると聞いて、島野喜三氏が山道に出向くと、「壊れないパーツがほしい」と声をかけられます。「この自転車は絶対に伸びる」…そう感じた喜三氏はアメリカから日本のシマノ本社に電話をかけ、4時間に渡って議論をします。その結果、会社にマウンテンバイクの部品開発事業に着手させることに成功します。

後にシマノが世界のトップメーカーとなる運命を決定づけたこの議論がかわされたのは1981年。アメリカのスペシャライズド社が世界初の量産型マウンテンバイクを販売開始したのもこの年のことでした。

シマノが着目したコンポーネントという新しい概念

翌1982年、マウンテンバイク専用コンポーネンツ「DEORE XT」が発売開始。変速機やブレーキといった駆動系の部品一式のセットをコンポーネントとして販売することで、それぞれの部品を異なるメーカーのもので組み合わせるよりも高いパフォーマンスを発揮することができます。コンポーネントはシマノが生み出した新しい概念でした。

マウンテンバイカーの声を聞いて作られたこの製品は大ヒット。マウンテンバイクブームを牽引する製品の一つとなります。このブームはアメリカだけにとどまらず、ヨーロッパへも広がり、アメリカ以上の大ブームに。シマノはマウンテンバイク部品のトップメーカーとなりました。

サイクルロードレースの本場ヨーロッパでも成功

アメリカに販売会社を設立した1965年、シマノはイタリア・ミラノの自転車ショーに出品しており、この頃から欧州への展開も視野に入れていたようです。ヨーロッパ初の子会社が設立されたのは1972年の西ドイツでした。社長は島野喜三氏が兼任しています。

ヨーロッパはアメリカよりも市場が排他的であり、競合メーカーも多かったため、アメリカとは異なる戦略を取る必要がありました。そのためにシマノが目をつけたのが自転車レースでした。

1903年から開催されているツール・ド・フランスなど、自転車レースはヨーロッパにおいて当時も大変な人気を博していました。そのレースでシマノの部品をアピールできれば、現地でのシェア拡大に繋がります。

そこで冒頭でも説明した「Dura Ace」が誕生しました。「Dura Ace」はプロ用の高品質ブランドとして開発が進められ、1973年に初めて自転車レースに参入。その後、1987年には有力チームに採用され、翌1988年にはジロ・デ・イタリアで初勝利。1999年にはツール・ド・フランスでも勝利をおさめました。

3. シマノ(SHIMANO)の海外事業

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シマノのグローバル展開を支える「チームシマノ」というコンセプトとは?

シマノの事業は「バイシクルコンポーネンツ事業」「釣具事業」「ボート用品事業」「ライフスタイル ギア事業」であり、それを支えるのが世界に約50もある事業拠点です。

シンガポールは販売拠点でもあり生産拠点でもある海外のヘッドクオーター的存在であり、他国で工場を設立する際には、経営幹部や技術者がシンガポールから派遣されることになっています。これについては次の項で説明します。

シマノのグローバル展開を支えるのが「チームシマノ」というコンセプトです。シマノの基本理念を基として、社会的使命、品質⽅針や環境⽅針をシマノで働く全員が理解し行動する、というもの。これは、海外進出によって多国籍の人材を抱えるシマノにとって、企業体としての一体感を高めることが必要だと三代目社長の島野敬三氏が打ち出したものです。

その後、敬三氏の急死によって社長に就任した島野喜三氏もこのコンセプトを受け継ぎ、育ててきました。シマノは社内の共通語を英語としており、国際会議の期間中は英語だけを使用することが決められています。通訳を介さず共通の言語でコミュニケーションをとることで、仲間意識が高まり、一体感が生まれる効果があるとしています。

4. シマノ(SHIMANO)の海外展開を成功させた3つの海外進出戦略とは?

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ここまでの海外進出の歴史や海外事業内容を踏まえて、この項ではシマノ(SHIMANO)の海外進出戦略について解説していきます。

シマノの海外進出戦略を3つに絞り込むと下記の3つに集約することができます。

① コンポーネント戦略
② ヘッドクォーターであるシンガポールの存在
③ モノ作り企業として技術や品質、生産性を高め続けていること


それぞれを詳しく見ていきましょう。

① コンポーネント戦略

前述したとおり、シマノはそれまでにない「コンポーネント」という概念を生み出しました。部品を単品で売るのではなく、ギアをセット販売するという手法で、これによって互換性における問題を解決し、より高いパフォーマンスを発揮することができます。

セットで使うことを前提に設計されたコンポーネントは調整も簡単で、修理なども互換性のある代替パーツが使えます。この新しい概念は消費者にも喜んで受け入れられ、やがて世界の標準となっていきました。

かつて、プロの選手はレバーの押し込み加減で変速を行っており、これは絶妙な感覚が求められる難しいものでした。シマノは変速の押し込み位置を決め、誰にでも変速が簡単にできるシステムを開発し、1984年の「Dura Ace」に搭載します。

当初は「簡単に変速ができるなんて子供の玩具だ」という批判もありましたが、その便利さから使う選手も徐々に多くなっていきます。シマノの部品で統一することで変速が簡単にできるため、シマノの売上も加速。「自転車業界のインテル」として名を馳せる、世界のトップメーカーとなりました。

② ヘッドクォーターであるシンガポールの存在

欧米での販売拠点設置から始まったシマノの海外進出ですが、価格競争力を上げるため、シマノは早くから生産拠点についても海外展開を図っています。1973年、初めての海外生産拠点となったのはシンガポール。政治や経済などが安定している国であることが決め手となりました。

当初は原因不明の不良品が出ることもありましたが、従業員が次の工程の担当に部品を投げて渡していたことが原因と判明。作業習慣などの違いをじっくりと観察し改善していくことで、現在はシンガポール工場で作られた製品は、日本で作られたものと遜色ないレベルとなっています。

シマノは1988年にはマレーシア、1991年にはインドネシア、1992年には中国に工場を建設。1997年にはアメリカに、2001年にはチェコでも生産を開始。これらの拠点の開設にあたっては、シンガポールの人材が大きく貢献しました。シンガポール工場には中国語と英語を話せる人材が多く、海外展開の大きな味方となってくれたのです。

ほかの海外工場よりも技術やノウハウなどがすでに蓄積されていたシンガポールのシマノは海外展開のヘッドクオーターとなり、海外での工場設立の際には経営幹部や技術者がシンガポールから派遣されるようになりました。

さまざまな国の人材を抱えるようになったシマノにとって、企業体としての一体感を高めることが必要だと、前述した「チームシマノ」というコンセプトを打ち出したのは、三代目社長の島野敬三氏でした。

また、シマノは国際会議において、世界の拠点同士を競争させるという施策もとっています。全世界の生産拠点で品質保証や環境管理のISOを一斉取得するようにしたり、統計学がベースとなっているシックスシグマという経営手法も全世界で同時に導入したり。もちろん設備の稼働率や不良品の発生率、財務の健全度などの指標でランキングを付けるなどの評価比較も行っています。

拠点同士を競わせるのは珍しいことではありませんが、シマノはその際の条件を平等にすることを重視しています。同時にスタートすることや、評価方法を公表し、誰もが納得行く条件でフェアに競わせることで、最大の効果を生み出しています。

③ モノ作り企業として技術や品質、生産性を高め続けていること

モノづくりの町である大阪府堺市から始まったシマノは、モノづくり企業としての技術や品質を常に高めてきました。その技術力や製品の品質が世界的な信用やブランド価値につながってきたと言えます。

技術だけではなく、修理やアフターサービスなど、当時としては先見の明とも言えるサービスに力を入れてきたシマノは、顧客ニーズを重視することでエンドユーザーのファンを着々と増やしてきました。

前述したとおり、現在は海外展開のヘッドクオーターとなっているシンガポールですが、工場での生産は当初、思うように行きませんでした。日本のノウハウをそのまま移しただけで、現地に沿った生産体制を作ることができていなかったためです。シンガポールでは日本人従業員の数を減らし、現地従業員の能力ややる気を引き出すことに注力し、品質や生産性が改善されたのだとか。

インドネシアの工場はシンガポールまでフェリーで1時間と非常に近く、シンガポールで生産された製品の最終組み立てなど、シンガポールを補完する位置付けの工場として稼働しています。

また、マレーシア工場はアルミの鍛造部品を生産する拠点として設立されています。異なる金属を鍛造する際には設備が異なるため、アルミ部品に特化した工場としての位置付けです。このように補完し合う関係でありながら、前述した競争意識をもつことで、お互いに切磋琢磨して高めあっていけるという、いい循環を作り出しているのも、シマノの海外戦略の一つであり、モノづくり企業としての強みでしょう。

5. 優良な海外進出サポート企業をご紹介

御社にピッタリの海外進出サポート企業をご紹介します

今回は「シマノ(SHIMANO)の海外進出」について解説しました。

確かな技術と歴代のカリスマ社長の経営力によって世界のトップメーカーに君臨したシマノ(SNIMANO)。アフターサービスや修理などの顧客サービスにいち早く取り組み、その後のブームを予見したマウンテンバイク部品への参入など、その先見の明には驚くばかりです。

シマノの戦略をすべて真似することはできませんが、従業員に一体感をもたせるための共通語の制定や平等に競争をさせるフェアな企業風土は、海外拠点での人材教育にも役立つのではないでしょうか。

シマノもシンガポールでの生産を軌道に乗せるまで、ずいぶん時間がかかったようですが、シマノだけでなく、海外展開を行う企業がもっとも苦労するのがその国の風習や最新事情に合わせる「現地化」です。

現地に合わせた生産体制や人材教育などを行う際には、現地の風土に詳しい専門家が不可欠。自社で調査するにも、まずは海外ビジネスのプロの話にご相談することをおすすめします。

『Digima~出島~』には、厳正な審査を通過した優良な海外進出サポート企業が多数登録しています。当然、複数の企業の比較検討も可能です。

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